弁護士紹介
1977年3月 新見市立足立小学校卒業
卒業時の全校生徒は54人で同級生は14人しかおらず平成18年3月には廃校となってしまいました。何もない時代でしたが、自然の中で仲間とともに過ごした思い出は何ものにも代えがたい宝物です。
1980年3月 新見市立新見第一中学校卒業
中学3年間は剣道部に所属していました。
1983年3月 岡山県立新見高等学校卒業
地元の高校を卒業しました。高校3年間は柔道部に所属していました。
1988年3月 東北大学法学部卒業
仙台市にある国立大学を卒業しました。仕送りを受ける身なので真面目な大学生活を送りました。
1992年10月 司法試験合格
合格した時はうれしいというよりホッとしたというのが正直な気持ちでした。
1995年(平成7年)4月 岡山弁護士会登録
岡山市の石井法律事務所で弁護士としての第一歩を踏み出しました。
1999年(平成11年)4月 西村法律事務所 開業
岡山市で法律事務所を開業。岡山県民の皆さんとともに頑張っていきたいと思います。
事務員紹介
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藤原 里美 ふじわらさとみ
1975年生まれ
1999年11月 西村法律事務所 勤務
【ご相談者の方へ】
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分からないことは遠慮なくお尋ね下さい。
弁護士の独り言
2023.3.1(思い出の場所)
昔住んでいた場所や通っていた学校は、いつまでも生き生きと心の中に残っています。思い出すたびに行ってみたくなるものです。しかし、実際に訪れてみるといつも抗いようのない寂しさに飲み込まれてしまいます。景色や建物はあの頃のままなのに、周りを見渡してもそこにいたはずの人たちが誰一人としていないからです。
「もうどこにもないんだよー」と、見渡す限りの景色や建物が一斉にしゃべりかけてくる気がします。
2023.2.1(備北民報)
私の故郷の新見市では昔から備北民報という4頁程度の地方新聞があります。昔は火曜、金曜だけの発行だったと記憶しています。そろばん検定の合格者やソフトボール大会、陸上記録会の結果の掲載などを子供の頃から楽しみにしてきました。私が司法試験に合格したときも取材して頂き記事として掲載されとても嬉しかったのを覚えています。
実家は今では全国紙は辞めて備北民報だけをとっているほど地元にはかかせない新聞です。帰省した時にまとめて眺めますが、お悔やみや結婚、お誕生をはじめ地元で活躍する同級生や知人の記事が掲載されていることもありいつもほっこりさせてもらっています。
2023.1.6(竹スキー)
鎌で竹のふしのない部分を40センチほどの長さに切り二つに割ります。断面を削って厚みを調節します。4分の1あたりを火で炙り適当な角度に曲げて暫く水に漬けると固定され手持ち部分ができます。接地面にロウを塗って竹スキーは完成です。
山中に分け入り適度な傾斜が続く日陰の細道を探します。見つけたら雪を踏み固めます。途中に多めに雪を盛りジャンプ台も作ります。コースが完成したら2本の竹スキーの上にそれぞれ足を乗せしゃがみ込んでスタートです。あまりしゃがみ込みすぎると繰り返すうちにお尻が濡れて凍えることになるので要注意です。
2022.12.1(野生のクルミ)
野生のクルミは小さく実が少ないので食べるものではないのですが、男の子にとっては手のひらの中で二つのクルミをこすり合わせて音を鳴らすのがカッコいいとされていました。長い間使っているとクルミが黒光りしてきてさらに渋さを増します。
しかし、野生のクルミは田舎であってもなかなか見つけられるものではありません。そのためさらに山の奥から一時間以上かけて歩いて通学してくる友達から分けてもらうしかありませんでした。一度その子の知っている唯一のクルミの木まで連れて行ってもらったことがありました。山道さえない山中に草木をかき分けながら進んで行ったその先に忽然と姿を現した瞬間を今でも鮮明に覚えています。
2022.1.6(心のうち)
戦後75年がたち日本で戦争の悲惨さを心に秘めてきた人達は少なくなっています。その方々の証言を聞いていると現実とは思えないような悪夢ばかりです。人は楽しかったことは話しますが辛かったことは話しません。それぞれに自分の心の中だけに秘めた苦しみや後悔があるはずです。
人と話をする際には目に見える部分だけで安易に相手を決めつけるようなことをせず、常に一定の距離をおいて接することが必要だと思います。
2020.2.3(良心と経験)
どんな仕事でも大切なのは良心と経験です。良心があっても経験がなければいい仕事はできません。経験があっても良心がなければいい仕事はできません。選ぶ方からすれば経験は調べればある程度分かりますが、良心はなかなか分かりません。
人にとって相手の心を感じ取る能力は大切だと思います。
2018.3.1(父の手)
私は歳の割には奇麗な手をしている方だと思います。自分の手を眺める度にいつも思い出すのは父の手のことです。父の手は指が太く、手の甲も手の平もとても固いうえにゴツゴツしていて、あんな手はこれまでに一度もお目にかかったことがありません。
どうすればあんな手になるのか。何も語らずとも何をしてきたかがはっきりと刻まれた、私にとっては何とも言えない気持ちにさせられる手でした。
2017.9.5(母親の美しさ)
私の事務所の前に小学校があります。最近の母親はお洒落で奇麗な人が多くなりました。
たまに身体に障害のあるお母さんの姿を見かけます。健常者には分からない苦労があるものと思います。それでも不自由な体で送迎され学校行事のときには特別におしゃれをされています。少しでも子供が肩身の狭い思いをしないよう精一杯努力されているのが伝わってきます。
そういう子を思う母の心の強さほど美しいものはありません。
2016.6.1(見えない幸せ)
幸せには見える幸せと見えない幸せがあります。何かを買ったり何処かに行ったりするのは見える幸せです。見えない幸せはその人の心の中の情景です。同じ場所にいても同じことをしていても人それぞれの心の中の情景は全く異なります。
見えない幸せに満たされるように生きていきたいですね。
2014.9.1(受容)
1人で通学している体の不自由な学生さんをたまに見かけます。移動には時間がかかるし危険も多く、特に他人から向けられる好奇の視線は辛いだろうと思います。
それでも懸命に一歩一歩あるき続ける姿からは一人で生きていくんだという覚悟がにじみ出ています。自分に責任はないけれどその結果は自分が受け入れざるを得ないことが人それぞれにあるものだと思います。
2014.5.1(置かれた場所で咲く)
人の幸せは自分の心が決めるのだと誰かが言っていました。世の中には幸せな人と不幸な人がいるのでなく幸せだと思う人と不幸だと思う人がいるだけということなのでしょう。
そうなんだろうなと思います。
2012.12.21(学歴)
小学5年生の頃、父親からある頼みごとをされました。社内報の自己紹介記事の順番が来たけれど自分は文章を書くのが苦手なので代わりに書いてくれというのです。さすがに最初は冗談だと思いました。
父は義務教育しか受けておらずしかも農作業の手伝いばかりさせられていたらしく勉強もできないほうだったろうと思います。でも、とても純粋で心優しい人でした。
学歴で人や自分を評価する人間が多い世の中ですが、そういう父を見ていて学歴がどれほどのものかと子供の頃からずっとそう感じています。
2011.6.1(ホタル)
幼かった頃母と二人でホタルを追った記憶があります。ホタルが飛び交う小川の向う岸に向かって大きな声でホタルの歌を歌いました。網にかかったホタルは見たことのない美しい輝きを放っていました。手のひらに包み込むようにしてカゴに入れ、家に帰ってそっと枕元に置いて眠りました。
でもいつも翌朝にはホタルは動かなくなっていました。そのためか次第にホタルを追うこともなくなっていったような気がします。
2010.4.1(さくら)
桜の季節です。この季節になるといつも思い出す桜の木があります。小学校2年生まで通っていた旧校舎にあった1本の大きな桜の木です。
校庭の子供たちを包み込むように咲いていた桜です。風が吹くとひらひらと沢山の花びらを落としていた桜です。その桜吹雪に向かって子供たちが歓声をあげながら飛び込んで行った桜です。子供たちは皆、その桜が咲くのを毎年楽しみにしていました。
子供たちがいなくなってもきれいに花を咲かせていた桜です。胸がキュンとなったのを今でもかすかに覚えています。
2010.3.4(卒業)
卒業しなくなってからもう随分経ちます。それでも卒業と聞くとせつなくなります。
小、中、高の頃、卒業はそれぞれの時代との永遠の決別を意味し、校舎や友人、好きだった人、全てが思い出になってしまうことへの焦燥感にも似た寂しさがありました。特別楽しいことがあった訳でも、感動的なことがあった訳でもなく、ただ平凡な毎日の繰り返しだけだったのに。
もう二度と戻れない。あのとき感じた心が締め付けられるような思いは、いつになっても忘れることができません。
2009.1.10(言葉)
人は言葉を使って生活をします。言葉は意味を伝えるものであると同時に心を伝えるものでもあります。言葉の働きとして大切なのは心を伝えることだと思います。だから、表情とか話し方に気を配らなくてはいけません。
また、言葉は心を伝えるものであると同時に心を育てるものでもあります。感謝の言葉や愛情表現の言葉などを発することでさらにその情感が深まっていきます。逆に批判の言葉や猜疑的な言葉を発すると不満が増幅されてしまいます。だから、常に感謝や愛情表現の言葉などプラスの言葉を口にするように努力したいと思っています。逆に、心に不満や不信が芽生えてもできるだけ口に出して言わないように心がけています。
しかし、現実には批判の言葉や猜疑的な言葉を投げかけられることがありますし、使わなければならない時もあります。そのような時、できるだけ心を言葉から隔離して意味だけを伝えようと必死になります。でも、心が言葉に負けてしまい不満や不信で満ちてしまったときはとても悲しく、もっと強い心も持たねばと思います。
その他の独り言