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2010.3.4(卒業)
卒業しなくなってからもう随分経ちます。それでも卒業と聞くとせつなくなります。
小、中、高の頃、卒業はそれぞれの時代との永遠の決別を意味し、校舎や友人、好きだった人、全てが思い出になってしまうことへの焦燥感にも似た寂しさがありました。特別楽しいことがあった訳でも、感動的なことがあった訳でもなく、ただ平凡な毎日の繰り返しだけだったのに。
もう二度と戻れない。あのとき感じた心が締め付けられるような思いは、いつになっても忘れることができません。
2010.2.8(夢)
私はよく夢を見ます。夢の中での感情は何故か現実以上にリアリティーがあるように感じます。初恋の人の夢を見ると、今では現実には思い出せない当時の感情がリアルに心に残ります。悲しい夢、辛い夢を見ると、現実には経験していないにもかかわらず、その焦燥感や悲しみは現実のものとして心に残っています。
現実では戻れない過去に連れて行ってくれたり、苦難に襲われたときに耐えることのできるようにその練習をしてくれたり、夢には感謝しています。
2010.1.6(人生の点数)
いよいよ受験シーズン到来です。受験生の皆さんには自分の力を出し切って欲しいと思います。
皆さんは自分の人生に点数を付けるとしたら何点くらいで合格としますか。私は70点くらいを目標にしています。他人の人生との比較ではなくあくまでも自分の中での満足度としての点数です。あまり高い点数を目指すとストレスが溜まりますし、焦りが生じて誤りを犯す可能性が高いような気がします。逆にあまり低い点数で満足してしまうと向上心がなくなり卑屈になってしまうような気がします。そして、人生を一部分だけで評価しないように気をつけています。
今後の人生もあるわけですから結果的にどのくらい満足できるものかはまだ分かりません。良いときも奢らず悪いときも焦らず全体を平均して70点くらいの満足度をクリアーできればいいなと思います。
2009.12.7(涙)
男は涙を見せてはいけない。これはよく言われることです。かくいう私はとても涙もろくて困ります。テレビを見ていて涙をこぼすことはしょっちゅうあります。子供の入学式や卒業式でもそうです。
以前ある人から自分のために涙を流す人は信用できないと聞いたことがあります。自分が苦しいとか悔しいとかという理由で人に涙を見せるとき、人に何かをしてもらいたいという甘えの気持ちがある場合が多いのかもしれません。だから男はそういう類の涙を見せてはならないのだろうと思います。
その他の男の涙にイチイチ目くじらを立てることもないとも思いますが、やっぱり涙を見せるのは恥ずかしいですね。
2009.11.6(稲穂)
稲は実るほどこうべを垂れるといいます。人間は成長するほど謙虚さを失ってはいけないということだと理解しています。
誰も一人では生きてはいけません。親に生んでもらわなければ自分の存在はありません。親に育ててもらわなければ大人になることはできません。教育を受けさせてもらわなければ望む仕事に就くことはできません。仲間に協力してもらわなければ目標を達成することはできません。家族や友人に愛してもらわなければ安らぎはありません。
結局自分ひとりでは何もできないのだということが成長するほどに分かってくるものなのだと思います。
2009.10.6(たばこ)
私は家族に嫌がられながらも未だにたばこを辞められません。
私は司法試験の勉強のため大学4年生のときに大学のあった仙台から東京に出ました。出身が岡山県の田舎の方なので東京には友達は誰もいませんでした。図書館や予備校の自習室で自習することが多いのですが、どうしても途中で休憩する必要があります。友達もいないしお金もないので近くの公園などで休憩するのですが、一人で何もしないで座っていると周りの目が気になって落ち着きません。
その頃からたばこを吸いながら休憩するようになりました。たばこを吸っている間は落ち着いて休憩できる時間でした。それが私の日常の息抜きとなりました。永い間そんな時代が続きました。
弁護士となった今でもたばこを吸うとホッとします。
2009.9.7(秋の気配)
秋の気配を感じる季節になりました。
秋というとスポーツの秋とか食欲の秋とか言われますが、私にとって秋は寂しさのつのる季節です。私が司法試験に合格した頃は司法試験の論文試験の合格発表は9月下旬にありました。何回も不合格となりました。不合格となったときは、日一日と涼しくなる秋の風が心を締め付け、自分だけが世間から取り残された感じで、暫くの間は強烈な孤独感にさいなまれていました。あえて言うなら大失恋をしたあとの様な感情でしょうか。
そんな経験を何度も繰り返したせいか、合格して随分たった今でも秋の気配を感じると条件反射的に寂しくなってしまいます。
2009.8.6(夏)
夏真っ盛りですが、私は泳ぎが苦手です。小学校が田舎でプールがなく水泳の指導は一度も受けられず、しかも泳げるのが谷川だけで長い部分でも5メートル程度しかなかったのが影響しているのだと思います。
谷川の水は夏といえどもとても冷たく、すぐに唇が紫色に変色してきます。それを見て友達と笑いあっていたのを覚えています。魚を素手で捕まえて河原で焼いて皆で食べたりもしていました。
大人になっても泳ぎに行くことはほとんどありませんでしたが、子供ができてから久々に海やプールに泳ぎに行くようになりました。キラキラと輝く太陽のもとで泳ぐのはやはり気持ちがいいものです。ただ、最初に子供と海に行った時には、あまりにも久しぶりだったので紫外線を甘くみてしまい、日焼け止め対策を全くせず後で大変なことになってしまいました。
短い夏ですが、自然を甘くみず事故や怪我には気をつけて過ごしたいものです。
2009.7.6(親としての自分)
皆さんは親としての自分をどう思いますか。自分が知っている親は自分の両親しかいない訳ですから、どうしても自分の親と比較することになります。
私は自分の父親と比較した場合、感情で子供を叱ることが多いような気がします。自分では我慢強い人間だと思っていても、いざ子供と接していると我慢できずに感情的に叱ってしまい、後で寝顔に向かって謝ることが多いのです。
相手が大人であれば決して怒らないようなことに怒ってしまったり、そのような怒り方はしないであろう怒り方をしてしまったりするのです。
これは相手が自分の子供だとしても大変失礼なことだと思います。カッときた時に必ず一呼吸置くように心がけたいものです。
2009.6.5(雨)
そろそろ梅雨入りです。私は雨の降る日はとても憂鬱な気持ちになります。空が暗くて風もなく雨がシトシト降るのが一番嫌いな雨の降り方です。私には信じられないことですが、中には雨が降ると楽しい気持ちになるという人もいるようです。
私は人と比べても雨が嫌いな方だと思います。おそらく雨と関連した嫌な出来事や思い出が少しずつ積み重なってそうなったのではないかと思います。経験というのは不思議なものです。
でも、考えてみると私たちは水がないと生きていけないわけで、その水は雨からしか得られないわけで、きれいな水を飲むことができるのも全て雨のお陰だと思えば、気持ちだけでも晴れるのかもしれません。
自然に生かされていることもまた間違いのない事実ですから、雨を恨めしく思うのは私の身勝手ですね。
2009.5.8(温泉)
ゴールデンウイークはどうでしたか。こんな経済情勢では家でゆっくり過ごした方が多いかもしれませんね。私も今年はほとんど家で過ごしましたが、例年は温泉旅行などに行くことが多いです。
温泉が嫌いな人は滅多にいませんが、どんな温泉が好きかとかどんな時間の過ごし方が好きかとなると、人それぞれ好みが別れるのではないでしょうか。私は大きなお風呂が好きなので、湯船の数が多ければ多いほど満たされます。
それにできるだけ長くボーとした時間を過ごしたいので何回でも可能な限り入りたくなります。その間にゆっくりと横になったりビールを飲んだりして過ごせればこれはもう天国です。
こんな私は温泉というよりはスパとか健康ランドが好きなのかもしれませんね。
2009.4.6(子供たち)
私の事務所の前に小学校があります。今ちょうど桜が満開です。小学校の周りが私の散歩コースです。たくさんの小学生にすれ違います。子供たちは皆明るくて屈託がありません。その様子を見ていると癒されます。
家庭の事情は千差万別であろうと思います。経済的にもそうですし、家族関係についてもそうです。でもどの子も皆嬉しそうに家路についています。
その屈託のない笑顔がいつまでも続きますようにと願わずにはいられません。
2009.3.11(季節の匂い)
春が近づいてきました。春は何だかウキウキします。
ここ1ヶ月の間に何度か春の匂いを嗅ぎました。
四季それぞれに匂いがあります。季節の変わり目にしか気づかない匂いです。何の匂いなのかいつも不思議に思います。
私は春の匂いが一番好きです。皆さんはどの季節の匂いが好きですか。
2009.2.10(カラオケ)
私はカラオケが大好きです。
自分は歌が下手だから嫌いだという人もいます。多くの人は音痴だから声が良くないから歌が下手だと言います。
私は人の歌もよく聴きます。素人の歌でも心に染みる歌とそうでない歌があります。素人の場合上手に歌おうとすればするほど何故か心に響かなくなります。
音痴で声は良くなくても心に響いてくる歌があります。心に直接伝わってくるかんじです。そんな歌が歌える人はいい人生を送っているんだなと何となく羨ましくなります。
2009.1.10(言葉)
人は言葉を使って生活をします。言葉は意味を伝えるものであると同時に心を伝えるものでもあります。言葉の働きとして大切なのは心を伝えることだと思います。だから、表情とか話し方に気を配らなくてはいけません。
また、言葉は心を伝えるものであると同時に心を育てるものでもあります。感謝の言葉や愛情表現の言葉などを発することでさらにその情感が深まっていきます。逆に批判の言葉や猜疑的な言葉を発すると不満が増幅されてしまいます。だから、常に感謝や愛情表現の言葉などプラスの言葉を口にするように努力したいと思っています。逆に、心に不満や不信が芽生えてもできるだけ口に出して言わないように心がけています。
しかし、現実には批判の言葉や猜疑的な言葉を投げかけられることがありますし、使わなければならない時もあります。そのような時、できるだけ心を言葉から隔離して意味だけを伝えようと必死になります。でも、心が言葉に負けてしまい不満や不信で満ちてしまったときはとても悲しく、もっと強い心も持たねばと思います。
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